好きなことをさせてあげようか
「こどもには好きなことをさせてあげたい。」
などと、自分も含めて、親というものは少しは思うものだが、
なかなかその通りにさせることはない。
かくいう私も、息子が「釣りをしたい!」を連発しているにもかかわらず、
条件を付けてみたりして、結局、彼は釣りの時間を削って夏期講習などに通っている。
「すきなこと」って何だろう。
本当に好きだったら、何をおいてもやるだろう。
高いハードルを設置しても、それを越えてやるだろう。と、大人は考えている。
だから、「宿題が終わったら」とか「漢字テストで100点取ったら」
などと条件を付けて、親はこどもの好きな時間を奪っている。
こどものやる気を試し、結果に落胆している。
結局。こどもの「すきなこと」とはその程度か、などと、
勝手にこちらの評価軸にはめ込んでいく。
こどもは、どうせ、親は聞いてくれない、などと言って、好きなことを捨てる。
こうして、双方はどちらも不幸になる。
好きなことをするとは無条件ではないのだ。
親として望むことの第一は、「生き延びること」だ。
こどもたちには近い将来、親の扶養から出て行って、自分の生活を築いていただく。
社会の中で、自分の役割をはたして対価を得ることで生き延びてほしい。
今私たち親が稼いでこどもたちを育てているように、
君たちにも自分の稼ぎで家庭を作ってほしい。
願わくば、「すきなこと」で稼いで生き延びてほしい。
それが条件だ。第一条件は、生き延びること、生きる力をつけることだ。
生半可な「好き」では稼げないぞ!などと大人の分別で決めつけてしまうわけではないが、生き延びるには「自分の役割をはたして対価を得る。」必要がある。それが第一条件だ。
自分の役割 = 自分の好きなこと になってほしい。
これが親の目指す「こどもには好きなことをさせてあげたい。」なのだ。
では、「自分の役割」って、なんだろう。