tacktack の ブログ

拓です。今度は少しは長く続くかな。

思い出は

昨日のことは、今日思いだしても、思い出ではない。

良い思い出、悪い思い出。

思い出は、記憶、とも違う。

性格である必要はない。

食い違っていたり、矛盾していても構わない。

そのかわり、間違っても、間違えてはいけない。

思い出は、思い込みでもある。

自分の心の奥底と、何かが強くつながっている。

だから間違えることは、間違ってもない。

必ず、正しいのだから。

 

だから他人は、人の思い出を

とやかく言ってはいけない。

「お父さんは中学校の時、手が付けられない悪でなあ!」

間違いない。お父さんは相当な悪だったのだ。

「お母さん、二十歳のころはモテたのよ。」

絶対に、モテたはずだ。

 

今の僕は、ぼんやりとして、浸りたいような思いではないが、

この曲に出会えたあの瞬間、

黒くてごっついラジカセから聞こえてきた、

か細いピアノのはじけるような音に、

心を奪われたあの瞬間が、よみがえってくる。

よみがえってくるのは、あの瞬間、ではなく、

自分の中の、あの感動した部分が

もう一度起動する感じだ。

 

12歳の時に、初めて起動したあの部分を、

もうすっかりおじさんになったおいらにも、

まだその部分がきちんと起動することを、

今、彼のピアノがもう一度教えてくれる。

ねじの壊れたブリキのおもちゃが

ぎこちなくぎしぎしと動くように、

僕の心のあの部分が、

ピアノの音に合わせて動き始める。

 

間違いない。これが思い出の回路。絶対に間違っても間違えることはない。

彼が動かす、僕のあの部分。