今まで見てきたなかで、いちばんよい建物は何か
私は、世界中を旅してたくさんの建物を見てきました。それぞれに素晴らしい、価値のあるものでした。
ではそのなかで、いちばんよい建物は何か。
迷うことはありません。パルテノン神殿です。
パルテノン神殿を見て、私の中の「よい建物とは」の答えが定まりました。初めて訪れたのはもう20年近く前のことですが、その時に得たたくさんの感情が、今でもこうして文章を書かせたり、私に霊感を与えてくれています。感動とは極めて主観的なもので、人には伝え難いのですが、この感動はできるだけ客観的に整理したい、と考えています。
その感動をできるだけ簡単に言い切れば、その建物がその場所にその形であることに疑いなく賛成できる気持ちのよさです。その場に立てば説明を受けなくてもその建物がそこにある理由を受け入れられる。そんなところです。
まだまだ、人と共有できるような論理的な言葉ではありません。
簡単に分かったものほど、伝えることに苦労をします。言葉無しで伝わったものほど、言葉で伝えるには不向きなものです。その矛盾は脇に置いて、できるだけ伝わる表現で、言葉にしてみたいと考えています。
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建設はそれがいつの時代であっても、規模に応じた投資です。投資はリターンを求めます。道端の祠から小学校、あるいは国会議事堂に至るまで、その姿にあらんと意図した人々の思いや目的がその姿を決定し、何らかのリターンを求めてきたのです。その思いや目的、あるいは論理的ではないエネルギーなどを、表現に変換する作業がデザインです。
パルテノンは良いデザインです。それは比例や色や美しさだけではありません。権力を持った(建設を可能にする投資ができる)人物が、国家を統治するという複雑な課題を解決する一つの手段としデザインし、投資した建物と言ってよいでしょう。統治とはとても複雑な行為です。権力、経済、文化、信仰、あるいは恐怖と救済など、抽象的で人の心の中にある感覚的なものを操りながら、具体的な実益を得ていくのです。
こうしたことを現地で一瞬にして理解した、と言っているわけではありません。アテネの町が一望でき一方でアテネの町中から仰ぎ見られる丘の上に、アテネを象徴する建築物があることと、威圧感や自己顕示欲を感じさせないその建物のすがすがしい姿。これはその場に立った人ならば文化的な背景に関わらず感じられるものなのではないかと、私は感じました。
このテーマを適切に分割して、丁寧に考え続けていきたいと考えています。
よいデザインとは何か、よい建物とは何か、よい目的とは何か、根源的な問いにできるだけ平易で人々と共有できる、できれば社会に興味を持ち始めた中学生を楽しませることができるような、そんな文章にすることを心がけて、書き進めていきたいと考えています。