「デザインする」とはどういうことか
いきなりテーマを、「よい建物」と膨らませすぎました。一方で、たくさんのテーマが沸き上がって来たので、しばらく書くことに事欠くことはありません。
「よい建物」の中に含まれる論点を小分けにすることから始ます。
前のエントリーで書いた内容を繰り返すと、建物を建てる行為は、その規模に応じた投資です。投資はリターンを求めます。
まずは、何らかの思いやエネルギーがあり、その発露先を建築物と定め、さらにその形や品質を決定し、時期を定めて人々の前に提出し、結果として何らかのリターンを求めたのです。
その思いや目的、あるいは論理的ではないエネルギーなどを、表現に変換する作業を総称して「デザインする」といいます。
「デザインする」とは、目的達成のために意図をもって行動すること、です。
言葉が抽象的でイメージが拡散してしまうので、いくつかの例をあげましょう。
喫茶店を経営するとき、お店のつくりや宣伝用のポスターの意匠を凝らすことだけがデザインではありません。どんなお客様にどんなコーヒーをいくらで提供するか。それを意図して実行することも「喫茶店のデザイン」です。店員をどのように配置し、どんな指揮系統を作るか、なども「組織のデザイン」という言葉で一般に語られています。よい喫茶店を運営するにはたくさんの面で「よいデザイン」が求められます。
スポーツ全般で耳にする言葉で、「デザインされたプレー」があります。サッカーならセットプレーやサインプレーがわかりやすく、アメリカンフットボールの場合は1プレーごとに次のプレーのデザインを確認します。野球の「狙い通りの内野ゴロ」などもそうは言わなくても、「デザインされた内野ゴロ」と言っていいでしょう。
「デザインされたプレー」とはゲームの中のある状況下で獲得したい結果を意図して、実行されたプレーのことです。意図の通りにプレーできたとして、結果に結び付くかどうかは相手次第ですが、プレーヤーは状況下で常に意図し判断を下しているのです。
別の例をあげましょう。油井から掘削された直後の原油は品質にばらつきがあり使い勝手も悪いため、ナフサ、ガソリン、重油、軽油など品質規格を定められた商品に精製されます。船のエンジンと飛行機のエンジンでは、単位熱量、潤滑性、揮発性、内容成分、コストなど求められる基準が異なります。これらの品質規格も用途に応じてデザインされたものです。この場合、需要側が求めるデザインと、供給する側が求めるデザインのマッチングが欠かせません
しばしば漠然と「いいデザイン」という言葉が使われますが、デザインのよしあしを語るときには、そのデザインの意図を知る必要があります。逆に言えば、よいデザインからはそのデザインがなされた意図がおのずから伝わってきます。あるいは意図の存在を感じさせずに、私たちをして意図された行動をとらしむるのです。
受け取った側が感じること、あるいは意図を感じずともとった行動が、デザインに投資された資本のリターンです。
だから、よいデザインとは、意図された通りのリターンが得られた行動、行為、ということなのです。
今まで見てきたなかで、いちばんよい建物は何か
私は、世界中を旅してたくさんの建物を見てきました。それぞれに素晴らしい、価値のあるものでした。
ではそのなかで、いちばんよい建物は何か。
迷うことはありません。パルテノン神殿です。
パルテノン神殿を見て、私の中の「よい建物とは」の答えが定まりました。初めて訪れたのはもう20年近く前のことですが、その時に得たたくさんの感情が、今でもこうして文章を書かせたり、私に霊感を与えてくれています。感動とは極めて主観的なもので、人には伝え難いのですが、この感動はできるだけ客観的に整理したい、と考えています。
その感動をできるだけ簡単に言い切れば、その建物がその場所にその形であることに疑いなく賛成できる気持ちのよさです。その場に立てば説明を受けなくてもその建物がそこにある理由を受け入れられる。そんなところです。
まだまだ、人と共有できるような論理的な言葉ではありません。
簡単に分かったものほど、伝えることに苦労をします。言葉無しで伝わったものほど、言葉で伝えるには不向きなものです。その矛盾は脇に置いて、できるだけ伝わる表現で、言葉にしてみたいと考えています。
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建設はそれがいつの時代であっても、規模に応じた投資です。投資はリターンを求めます。道端の祠から小学校、あるいは国会議事堂に至るまで、その姿にあらんと意図した人々の思いや目的がその姿を決定し、何らかのリターンを求めてきたのです。その思いや目的、あるいは論理的ではないエネルギーなどを、表現に変換する作業がデザインです。
パルテノンは良いデザインです。それは比例や色や美しさだけではありません。権力を持った(建設を可能にする投資ができる)人物が、国家を統治するという複雑な課題を解決する一つの手段としデザインし、投資した建物と言ってよいでしょう。統治とはとても複雑な行為です。権力、経済、文化、信仰、あるいは恐怖と救済など、抽象的で人の心の中にある感覚的なものを操りながら、具体的な実益を得ていくのです。
こうしたことを現地で一瞬にして理解した、と言っているわけではありません。アテネの町が一望でき一方でアテネの町中から仰ぎ見られる丘の上に、アテネを象徴する建築物があることと、威圧感や自己顕示欲を感じさせないその建物のすがすがしい姿。これはその場に立った人ならば文化的な背景に関わらず感じられるものなのではないかと、私は感じました。
このテーマを適切に分割して、丁寧に考え続けていきたいと考えています。
よいデザインとは何か、よい建物とは何か、よい目的とは何か、根源的な問いにできるだけ平易で人々と共有できる、できれば社会に興味を持ち始めた中学生を楽しませることができるような、そんな文章にすることを心がけて、書き進めていきたいと考えています。