tacktack の ブログ

拓です。今度は少しは長く続くかな。

踏み出すこと、踏み出さなくてもいいこと

諸葛孔明は、草案で昼寝をしていた。

天下を三分する夢を見ていた。

気持ちの良い夢だった。

気持ちの良い眠りだった。

気持ちの良い生活だった。

なんとなく、天下を三分することを考えていた。

 

劉備玄徳さえ来なければ、

そのまま、白昼の夢の中にだけ、三国志があった。

それでもよかった。

だれにもわからない。

孔明の頭の中で天下は三分されていた。

だらも知らない。

 

孔明は寝ていたかった。

夢の中で三分されていれば、本当の天下がどうかなんて、

別にどうだっていい。

気持ちよく昼寝がしたい。

それ以上の望みは、ない。

 

そこを、劉備は起こしに来た。

三回も。

寝てるのに起きるまで待っていた。

いい夢見ているのに。

さて、どうしてやろうかな。

夢の話をしてやろうかな。

 

夢は、人に話した時から

少しずつ、違うものになっていく。

違うものとは、夢ではない何か。

それを現実、というにはあまりにも、あんまりにも早い。

 

夢ではない何かは、夢のようには美しくない。

夢なら寝ていられるけど、

夢ではない何かは、起きてないといけない。

しかも、自分以外の誰かと一緒に。

それだけで十分めんどくさい。

 

そこには、そのめんどくささや、

眠りよりも気持ちの良い何かがあるのか。

劉備はそれを持ってきたのか。

ただ孔明の気まぐれなのか。

 

そうして、孔明の夢は劉備に語られ、

実現に向けて闘いの暮らしが始まった。

それは誰のために闘いなのか、

誰を幸せにするものなのか。

 

草案の白昼夢は、

夢ではない何かに変わり、

三国志という物語にはなった。

 

たまたまだ。

それは、幸運なたまたまだ。

だれにとっての幸運か。

 

それは、この物語を愛する僕にとっての幸運だ。

 

ありがとう 孔明

昼寝をやめてくれて。