信じられない。信じてみよう。信じたい。
疑い続けること、
最悪の状況を想定し対策すること、
それが勝者になる条件だ。 とさ。
僕は人を疑いたくない。
騙されても、そんなに怒らない。
それほど信じていないのかもしれない。
疑いたくないから。
どうやら、信じてもいないみたい。
信じるのは、楽だ。
考えることをやめられるから。
考え抜いて信じるに達するか、
何も考えずに信じるか、
どちらも先の結果は同じだ。
自分を信じているか。
信じてない。
ときどき、大きなエネルギーが沸き起こり、
何も考えずに行動を起こせるときがある。
それは、衝動であって、信念ではない。
行き当たりばったりだけど、
自分の内側から沸き起こった衝動を、
何年も、あるいは人生をかけて悩みぬいてきた何かの
解が得られたかのように、信じたい。
たどり着いたのだと信じたい。
それが、信じられなくなると、
もう行動はできない。衝動も起きない。
そこには、手続きを、過去にならって踏んでいくだけの、
人がすでにつけている道筋をなぞっていくだけの
行動がある。
人を信じることは簡単だ。
自分を信じることが、なかなかできない。