tacktack の ブログ

拓です。今度は少しは長く続くかな。

生業をえて、えて、

「これから工場を建設する土地は、河岸段丘の上で、過去には果樹園だった。

果樹園の前は、桑畑だった。

その前は、よくわからないが、

縄文から平安時代のころには、竪穴式住居の集落があった。

その数万年前は、山が崩れて、堆積して、

大河が土砂を運んで、そこを削って、

隆起して。氷河期が来て、海進が来て、

地球に生物が生まれて、、、、、」

 

「それがなにか? 全部過去の話じゃない?

どんな工場にする? 来年の生産量は? 売り上げは?

私たちの将来は? 今夜何を食べる?」

 

過去を学ぶことは楽しい。勉強することは快楽だ。

未来を考えることは日常だ。未来を考えることこそは生きることであり、

しかしながら一般には苦役だ。

楽しい、という人はうまくいっている人か、変わった人であり、

ほとんどの人はうまくいっていないか、

うまくいっていないと思い込んでいる。

あるいはうまくいっていると思っていても

”一寸先は闇” なんて、ことわざを知っている。

 

それを楽しむのだ。生きることを楽しむのだ。

それは過去を知ることや快楽に耽溺することに没入すること、

厳しい言葉で言えば逃避することではなく、

生存の手段を、楽しむための技術を身に着けるのだ。

 

生存するための手段とは、つまりは生業だ。

生業とは、人の役に立って、対価を得ること。

 

熟達することで付加価値を付けて対価を得るばかりではなく、

未熟さや、個性や、独特さをさらして、

人に愛されて貢れることも、

それはそれは、立派な立派な生業だ。

脅したり、既得権にしがみついたり、不法組織に所属して犯罪的に稼いでも、

それもまた生業といえよう。

そうして生ききた人は、確かにいるのだ。

 

手段はさておき、

生活に必要な資金を得る。

それだけだ。

ただ、資金は、自然には育たない。

魚を取ったら、野菜を育てたら、

人に買ってもらわなければならない。

だから、人について、知らなければならない。

 

今の時代は、そんなに簡単じゃない。

自分が作ったものを、誰がどのように使うかなんて

分かったもんじゃない。

自分が食べている豆腐の、豆を誰が作っているか分からない。

豆腐だって、豆腐屋さんでは買わない。

買う自分が分からに用に、売る自分もわかっていない。

 

だから、仕組みを知った方がいい。

人が暮らしている、社会の仕組み。

知っていて損はない。

知っている方が得だ。

 

まずは生きて、

願わくば、未来を、できるだけしっかりと見つめて、

それに加えて、過去教養として理解して、、、、

ずいぶんたくさんやることがありますね。

 

ひとまず、明日の準備と、今夜のご飯を決めましょう。

今夜のご飯は、今夜のために。

将来のためのカロリー計算などは、できる方からどうぞ。