tacktack の ブログ

拓です。今度は少しは長く続くかな。

「深い」の反対へ:誰にでもわかるとは

デザインがわかる、わからない、という話題があります。

先ほど来続く、「深い」もそうですが、「何を言っているのかわからない」「何を意味しているのか分からない」 といったデザインに関する話題です。

 

 わかりにくいデザインとは、私が考える限りにおいては、失敗です。ごく稀にある、「わかりにくくするという意図」が達成されている場合、(アラベスク模様のように、偶像崇拝を否定しつつ意味を込めるといった、文化的な背景など)を除けば、です。この時点で、すでに話がややこしい。

 

 誰にでもわかることを目指したデザインに、「ユニバーサルデザイン」があります。

この目指す目標は、誰にでも分かり易いこと、ですが、私が描こうとしている「深い」の反対、とは少し違います。

 

ノーマライゼーションバリアフリーの流れから障害者にも使いやすい配慮を形態化するデザインを示す言葉ですが、駅・空港など、言語や文化の違う人々が行きかう場所で全ての人が必要とする情報を伝えるための表現などもこれに当たります。これらは間違いなくシンプルで伝わりやすいデザインです。

 

空港におけるトイレのピクトデザインを例にとれば、デザインの意図である、トイレを見つけたい、トイレを見つけてほしい、という意図は両側から合意されています。メッセージは、初めから双方が求めあっているのです。行き先案内の場合、行き先を知りたい旅人がいて、旅人にスムーズに動いてほしい運営者がいます。双方は、空港や駅という空間をの機能を利用している時点で、目標を共有しているのですから、コミュニケーションがすでに成立しています。 この点において、私の考える「深い」の反対ではないのです。

 

「深い」を理解するために、簡潔、シンプルについて考えています。

ユニバーサルデザインは簡潔・シンプルでも、「深い」の反対ではありません。

では、「深い」の反対で、誰にも分る、とはどんなものでしょうか。

 

例えば刃物は、よく切れそうな形をしています。

物心ついた子供なら、言われなくても危ないから触らない、という気持ちを起こすでしょう。

それは民族や宗教を越えて同じ感覚を受けるはずです。

「切れるぞ」ということを体現している、危ないことを伝える、

それを意図しているとしたら、こんなに良いデザインはありません。

 

さて、そのものの形を指してデザインというのか、という反論もあるでしょう。

まだ、「深い」の反対を、うまく表現できていないと感じるので、

いくつか例を挙げたいと思います。