tacktack の ブログ

拓です。今度は少しは長く続くかな。

トラックを選ぶ

ロングセラー

どこでも部品が手に入る。

中古車が手に入る。

世界で販売台数が多い。

特に、日本で多い。

今後も存続し、荷台や形状が大きく変わりそうにない。

EV。ハイブリッドへの転換も問題なさそう。

 

という観点から

 

トヨタを選ぶ。

トラック・バス販売台数一覧|トラックNEXT

 

 

 

 

具体的に行動を起こす。

グダグダと、御託を並べて、何もしてこなかった。

やることにする。

 

自由に動き回る家を作る。

普通免許で運転できる、普通の駐車場に止めることができる、

やや大きめのキャンピングカーを自作する。

 

2t程度のトラックを買い、載せ替えのできる仕様で設計する。

車は買い替えても、荷台に乗せた家は買い替えない。

 

フェリーに乗れる。

世界中に行ける。部品が調達できる車とする。

 

作りながら、動きながら暮らせる。

 

 

思い出は

昨日のことは、今日思いだしても、思い出ではない。

良い思い出、悪い思い出。

思い出は、記憶、とも違う。

性格である必要はない。

食い違っていたり、矛盾していても構わない。

そのかわり、間違っても、間違えてはいけない。

思い出は、思い込みでもある。

自分の心の奥底と、何かが強くつながっている。

だから間違えることは、間違ってもない。

必ず、正しいのだから。

 

だから他人は、人の思い出を

とやかく言ってはいけない。

「お父さんは中学校の時、手が付けられない悪でなあ!」

間違いない。お父さんは相当な悪だったのだ。

「お母さん、二十歳のころはモテたのよ。」

絶対に、モテたはずだ。

 

今の僕は、ぼんやりとして、浸りたいような思いではないが、

この曲に出会えたあの瞬間、

黒くてごっついラジカセから聞こえてきた、

か細いピアノのはじけるような音に、

心を奪われたあの瞬間が、よみがえってくる。

よみがえってくるのは、あの瞬間、ではなく、

自分の中の、あの感動した部分が

もう一度起動する感じだ。

 

12歳の時に、初めて起動したあの部分を、

もうすっかりおじさんになったおいらにも、

まだその部分がきちんと起動することを、

今、彼のピアノがもう一度教えてくれる。

ねじの壊れたブリキのおもちゃが

ぎこちなくぎしぎしと動くように、

僕の心のあの部分が、

ピアノの音に合わせて動き始める。

 

間違いない。これが思い出の回路。絶対に間違っても間違えることはない。

彼が動かす、僕のあの部分。

 

お金を使おう。

車を持っていません。

中古車を友人から譲り受けたけど、手放してしまいました。

 

家を持っていません。

賃貸で暮らしています。

今の家で別にいいから、買うつもりもありません。

 

手に職は、持っています。

仕事はしっかりやっています。

あんまり無駄遣いもしないので、貯金もしっかりあります。

普通に暮らしていれば、まあ、安心です。

 

でも、それじゃあ、つまんないよね。

うん、つまんない、つまんない。

じゃあどうする?

 

お金を使おう!

 

投資する?それって、使ってないよね。

リターンを得る気、満々でしょ。

仕事が一つ増えるようなもんだ。

 

ほんとに、何にも役に立たないけど、

きもちがスッキリすることにお金を使おう!

 

寄付する? それって、手放しただけだよね。

自分が楽しむこと手放して、誰かの幸せが見えるわけでもなく。

分別してごみを捨てるように、捨てるべき場所にお金を捨てただけ。

信心のない僕には、無理だなあ。

 

車と家を買おう。

こっそり買おう。

気が付かれないように買おう。

でも、登記が必要だよね。場合によっては保証人とか。

 

目に見える誰かのために使おう。

旅に出る、パーティをする、レッスンを受ける、

健康になる、優秀になる、社交的になる、面白い人になる。

そのために使おう。

自分が、目に見える誰かが。

 

 

やりたいことをやる。

やりたいことは、大冒険。

やりたいことは、世界平和。

やりたいことは、大儲け。

大物つり上げ、船上パーティ。

無人島を借り切って、酒池肉林。

 

ほんとに、そんなことしたいのかな。

 

白いご飯と味噌汁で、満足してしまう僕は、

特にやりたいことなんて、ありません。

しいていうなら

やりたいことは、やりたくないことをしないこと。

 

でも

 

皿洗いも、やりたくないけど、

文句を言われるのはもっといやだから、洗ってやる。

まあ、きらいじゃないから。

 

部屋の掃除も、やりたくないけど、

嫌味を言われるのはもっといやだから、やってやる。

まあ、できないことじゃないから。

 

洗濯物のお片付けも、やりたくないけど、

ほっておかれるのはもっといやだから、たたんでやる。

まあ、困ることじゃないから。

 

やりたくないことでも、もっとやりたくないことをやらないためなら、

まあ、できないことじゃなければ、やります。

 

まあ、いうても、やりたいことと言えば、あそびでしょうか。

たとえば、おさんぽです。

誰も喜ばせず、誰にも期待されず、

特に危ないこともなく、大きなリスクを負うこともないです。

いいでしょ。 さんぽに行っても。

 

やりたいことをやる前に、

皿洗い、部屋の掃除、洗濯物のお片付けをします。

期待されているから。

君の喜ぶ顔が見たいから。

 

つまり、やりたいことって、

君に期待されて、君の喜ぶ顔を見ることなのか?

それじゃあ、君がいなくなったらどうしよう。

 

なくならない何かのためにやりましょうか。

皿を洗いましょうか。部屋の掃除をしましょうか。

誰が期待してくれる?誰が喜んでくれる?

 

僕のことは、いいんです。

だってそんなもんですから。

これくらいのことしかできないし、

多くの人に期待されるようなことも、できやしません。

 

やりたいこと、ではなくて、

だれかに求められることをやりたいんです。

そうすれば、

誰かの喜んだ顔が見えるから。

 

さんぽして、小さな春を見つけて、小さな心の喜びを。

旅に出て、偉大な景色に出会って、大きな感動を。

どちらもしょせん、僕一人の胸の中のお話し。

それでいいなら、さんぽをします。

 

なんてことを考えながら、

今日も近所を一回り。

 

 

踏み出すこと、踏み出さなくてもいいこと

諸葛孔明は、草案で昼寝をしていた。

天下を三分する夢を見ていた。

気持ちの良い夢だった。

気持ちの良い眠りだった。

気持ちの良い生活だった。

なんとなく、天下を三分することを考えていた。

 

劉備玄徳さえ来なければ、

そのまま、白昼の夢の中にだけ、三国志があった。

それでもよかった。

だれにもわからない。

孔明の頭の中で天下は三分されていた。

だらも知らない。

 

孔明は寝ていたかった。

夢の中で三分されていれば、本当の天下がどうかなんて、

別にどうだっていい。

気持ちよく昼寝がしたい。

それ以上の望みは、ない。

 

そこを、劉備は起こしに来た。

三回も。

寝てるのに起きるまで待っていた。

いい夢見ているのに。

さて、どうしてやろうかな。

夢の話をしてやろうかな。

 

夢は、人に話した時から

少しずつ、違うものになっていく。

違うものとは、夢ではない何か。

それを現実、というにはあまりにも、あんまりにも早い。

 

夢ではない何かは、夢のようには美しくない。

夢なら寝ていられるけど、

夢ではない何かは、起きてないといけない。

しかも、自分以外の誰かと一緒に。

それだけで十分めんどくさい。

 

そこには、そのめんどくささや、

眠りよりも気持ちの良い何かがあるのか。

劉備はそれを持ってきたのか。

ただ孔明の気まぐれなのか。

 

そうして、孔明の夢は劉備に語られ、

実現に向けて闘いの暮らしが始まった。

それは誰のために闘いなのか、

誰を幸せにするものなのか。

 

草案の白昼夢は、

夢ではない何かに変わり、

三国志という物語にはなった。

 

たまたまだ。

それは、幸運なたまたまだ。

だれにとっての幸運か。

 

それは、この物語を愛する僕にとっての幸運だ。

 

ありがとう 孔明

昼寝をやめてくれて。

 

 

 

よい時、悪い時

 

よい時もある、悪い時もある。という

今は、よい時か、悪い時か、

それすらわからない。

 

喜んでいいのか、悔やんでいいのか、

慢心か、慎重か、

それすらわからない。

 

よいも、悪いも、ない。

ただ、生きている。

 

自分の評価も、関係がない。

人からの評価も、関係がない。

 

ただ、生きる。

 

とは何か。

 

心と体の反応に正直に、

消化の良いものを食べて、

早寝早起き。

幸せ、不幸せ、のどちらもない。

 

のどが乾いたら、水を飲む。

おなかがすいたら、ご飯を食べる。

 

ご飯も水も、ただではない。

得るためには、やらなければいけないことがある。

やらなければいけないことをやる。

やりたいことをやる。

いずれにしても

米や水に交換できることをする。

 

 

 

信じられない。信じてみよう。信じたい。

疑い続けること、

最悪の状況を想定し対策すること、

それが勝者になる条件だ。 とさ。

 

僕は人を疑いたくない。

騙されても、そんなに怒らない。

それほど信じていないのかもしれない。

疑いたくないから。

どうやら、信じてもいないみたい。

 

信じるのは、楽だ。

考えることをやめられるから。

考え抜いて信じるに達するか、

何も考えずに信じるか、

どちらも先の結果は同じだ。

 

自分を信じているか。

信じてない。

ときどき、大きなエネルギーが沸き起こり、

何も考えずに行動を起こせるときがある。

それは、衝動であって、信念ではない。

行き当たりばったりだけど、

自分の内側から沸き起こった衝動を、

何年も、あるいは人生をかけて悩みぬいてきた何かの

解が得られたかのように、信じたい。

たどり着いたのだと信じたい。

それが、信じられなくなると、

もう行動はできない。衝動も起きない。

 

そこには、手続きを、過去にならって踏んでいくだけの、

人がすでにつけている道筋をなぞっていくだけの

行動がある。

 

人を信じることは簡単だ。

自分を信じることが、なかなかできない。

 

大きなのっぽの

古川くん

おじさんのともだちさ

100年生でも動いている

そうにきまっている。

 

おじさんの入った部屋で、

最初に話してくれた。

 

今はもう動かない

ああ古川君

 

なんでも知ってる古川くん

おじさんのともだち

きれいな彼女に逃げられた

その夜は飲んでくれた。

 

うれしいこともかなしいことも

くだらないことも大切なことも

みんな知ってるんだか知らないんだか、

 

今はもううごかない

ああ古川くん

 

一日も休まずに、

うろうろてくてくぼさぼさのろのろ

おじさんといっしょに

ぼやぼやさくさくてきぱきくよくよ

 

今はもううごかない

ああ古川くん

 

真夜中に携帯が光った。

ぽよん、とか、すっとぼけた音がした。

 

まさかこれが、

こんな光が、

こんな間抜けな音が、

こんなことを知らせてくるなんて。

 

どこぞへいっちまうんだい古川くん

おれはおもしろくないよ。

 

ありがとう。

大きなのっぽの。